アニメと音楽のメモ帳

アニメと音楽についてまとまりない文章を。

幻影ヲ駆ケル太陽 5話

「幻影ヲ駆ケル太陽」の第5話から。
ぎんかの知人がダエモニアになった回。

ぎんかの父弥太郎がセフィロ・フィオーレを訪れ、景気づけに、とあかりたちをパーティーに招いてくれた。弥太郎は小売店を経営する会社の社長。ぎんかと共に挨拶回りをする。その途中、昔世話になった本田という男の会社が経営難であることをぎんかと弥太郎は知る。本田はパーティーには出ず、自宅で首を吊ろうとしていた。そのとき、少女が現れ、本田にディアボロス・タロットを授ける。後日、ぎんかは本田が持ち直したことを弥太郎から聞く。それを記念して共に飲むことも。しかし、飲み会の日、弥太郎の会社の商品で火傷をした客のもとへ行くため、弥太郎は飲み会に遅刻。その飲み会では遂に少女が本性を現す。弥太郎にも魔の手が迫る中、アストラルクスではダエモニアと化した本田とあかりたちが戦っていた。あかりを通じて本田の声を聴くぎんかは悩んだ末、「(本田の)おっちゃんはもっと辛い、うちが、おっちゃんを楽にする!」と決意。思い出を反芻しつつ、ダエモニアを薙ぎ払う。

前回は名声に対する些細な嫉妬、今回はお金のトラブルが原因でダエモニアになった人々を描いている。今回の副題「ああ、金、金!この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか!」とは、もう殆どネタバレと言える程、今回の内容を現しているように感じられる。金銭トラブルというある種どうしようもないことを、ダエモニアになった本田は

済まない、俺の心が弱いせいで、弥太郎にもぎんかちゃんにも……

と自責する。前回、今回共に現実への即し方が、可愛いキャラクターデザインにも関わらず、何ともえぐい。ある種、「魔法少女まどか☆マギカ」を見ているような気分にさせられる。このギャップが意図したものだとしたら制作陣に毎度一本取られているわけだ。この「視聴後感の悪さ」を楽しむのが本筋のような気もしてきた。次回はどう驚かせてくれるのか楽しみだ。

なお、ぎんかがダエモニアにとどめを刺すシーンでは、第一撃に合わせて劇伴のストリングスが盛り上がるようになっている。そして、一撃が当たる寸前に昔を思い出させる写真の映像が挟まる。攻撃の最後まで思い出は断続的に繰り返される。ぎんかにしてみればさぞ辛かったであろう。ここら辺の見せ方がうまいなあ、と思う。