アニメと音楽のメモ帳

アニメと音楽についてまとまりない文章を。

Free! 6話

「Free!」の第6話から。

真琴の過去に何があったか判明する回。

粗筋

夜の海で溺れる怜を助けるために海に入った真琴。それを発見した遥と渚も海へ入るが、4人とも波に巻き込まれてしまう。それでも幸運なことに大事なく浜に上がることができた4人は雨をしのぐため、近くの廃屋に入る。そこで、真琴が普通ではないことを指摘。真琴の過去が語られる。

真琴は幼い頃に仲の良かった老人がいた。しかし、ある夏、老人は台風で荒れた海で亡くなった。それにより、真琴は海への恐怖心が芽生えたということであった。

しかし、4人が揃えば大丈夫という態度の真琴に安心した一行はそのまま夜を明かし、元いた島まで泳いで帰った。波は凪いでいた。

所感

前回ちらほら見えていた真琴の過去が分かった。一輪挿しの花のシーンが挟まれていたり、海が絡んだ途端真琴のどこか飄々とした感じがなくなっていたことから、海で誰かが亡くなったのを真琴が目撃してそれがトラウマになったんじゃないか、位は推測していたが、実際はもっと子ども心にしっかり残るものだった。

しかしながら、真琴が体験したことを列挙すれば、

  • お爺さんが死んだ、と聞いたこと
  • 葬列を目撃したこと
  • お爺さんからもらった金魚が死んだこと

だ。何だかこう書いてしまうとインパクトに欠けるように第一印象では思える。いや、インパクトと言うと語弊があるかも知れない。言いたいのは、トラウマになる要素は何か、ということだ。例えば、死ぬまさにその瞬間を目の当たりにした、というようなことなら、嫌でも脳裏に深く刻まれてしまうだろう。しかし、いくら親しかったとは言え聞いただけでトラウマになるだろうか。そこの説明は、言葉に加えて、シーンの移り変わり、幼少期の真琴に何が起きたか、というところを描くことでクリアしている。

まず、葬列を遥と共に目撃するシーンでは、

悲しいと言うより、怖くなった。

とある。まだ、「死ぬ」ということが理解できていないばかりか、目の前を謎の白装束の列が通る様を見て恐怖しているのだ。遥の半歩陰に隠れ、手を握るところからもそれがうかがえる。ここから、「死ぬことは怖いこと」という連関が出来上がったとする。そこに来て、とどめの金魚の死だ。金魚はお爺さんとの思い出の象徴だと言える。即ち、「死がお爺さんという形あるものも、思い出という手に取れないものも奪って行ってしまった」という発想に至った。そして、「死」が海によって引き起こされたことは幼いながらに分かっていただろうから、「海は、よく分からない『死』というものを連れてきて、大切なものをなくしてしまう」という連想が働いた。

何だか、海の中には得体の知れない何かが潜んでいるように思えて。

この真琴の言葉もそれを表しているように感じられる。

そんな過去を持つ真琴だからこそ、

それにこの4人で泳いだら、どこまでも行けそうな気がするんだ。

というセリフは彩光を放つ。遥たちが息を飲んだのもそういう理由ではなかろうか。この発言をしたときの真琴の目には力があった。渚と怜に話したことで、自分の中で整理がついたのだろう。頼もしい。その直後の、満天の水面も、先行き良しという象徴に思える。

最後の辺りまで重めの今回だが、水の表現が面白い。お爺さんが亡くなったことを真琴が語るシーンの海と4人が泳ぎ疲れて眠るラストシーンでの穏やかな海。どちらも3DCGによって作られているようだが、前者は灰色の塊という印象、後者は爽やかな印象、と全く受ける印象が違う。水を扱った作品なので、次回以降も水の表現には注目したい。

なお、副題にある「ノーブリージング」とは、英語で綴ると「no breathing」。意味は文字通り「息継ぎをせずに泳ぐこと」だ。ノーブレとかノンブレとか言うこともある。今回では、冒頭で溺れていた怜が真っ先に連想される。また、海への恐怖心を抱えたまま合宿に臨んだ真琴は、まさしく息も止まるような心地だったかも知れない、というのはやや深読みし過ぎだろうか。