アニメと音楽のメモ帳

アニメと音楽についてまとまりない文章を。

ローゼンメイデン 7話

ローゼンメイデン」の第7話から。

まかなかったジュンに魔の手が!、な回。

粗筋

所感

ぜんまいをまかなかったジュン今までやりとりしていたのは、実はまいたジュンではなかったという衝撃の今回。メールの差出人の正体は誰なのか、なぜドールをもう1体作らせようとするのか、時間がないとはただの口実か、など気になることが次々に出てきた。

印象的だったのは、世界と切り離される感覚に陥ったときのジュンだ。きっかけは書店で店長の言葉を思い出したことだったが、思春期の悪い記憶がそれに追い討ちをかける。この感覚にいるときは世界が黒地に白線の輪郭だけになるという演出がなされており、不安な感じを催させる。しかし、真紅がそれに対しての救いとなりうる言葉を残している。

もし誰も覚えている人がいなくなってしまったら、それは最初からなかったことと変わりないのかも。それでも、ジュン、私が今あなたの膝に座っているという事実は変わらない。いつか、私もジュンも消えてなくなり、世界中から忘れられたとしても、今この時間は確かに存在したのだわ。

人間誰しも多かれ少なかれ世界を呪うことがある。しかし、自分を自分たらしめるというのも他ならぬ世界の機能の一つだ。そんな世界と自分を、何かを作り残すことでつなごうとすることが往々にしてある。それは、文章だったり絵だったり音楽だったりするが、残すことを世界とつながる絶対的な手段としてとらえてしまうと、現在を疎かにし得る。残すことは、即ち未来の世界へ何かを託すことである。おかずの残りを冷蔵庫に入れること一つとっても、今日食べられなかったから明日食べよう、という明日の自分に対しての行為に違いない。しかし、それを重視するあまり、現在自分が何をしているか、何を感じているかを蔑ろにしてしまっては意味がない。おかずの例なら、食事中におかずを冷蔵保存することに気を取られ過ぎて何を食べているか、美味しいかまずいかを感じられなくては本末転倒である。何かを未来のために残すこと。それ自体はとても重要なことである。それと同じかそれ以上に今を感じることは尊い。そんな感想を持った。

さて、「Books タキワプレゼンツ店内放送」は、斉藤さんの劇のチケットを店長は買わされ、ジュンは手伝いの報酬で無料という話。それでも、チラシをレジの横に置かせるとは、この店長ちょろ過ぎである。